7月29日
動けば変わる!希望の参議院選挙
暑く長い参議院選挙が終わった。
全国的に民主党が大躍進、自民、公明、社民、共産ともに議席減、四国4県とも地方区では民主党が勝利、という結果になった。民主躍進の原動力は何と言っても消えた年金記録、安倍閣僚の不祥事や不謹慎発言、政府与党の目に余る強行採決などなど。仙谷氏以外なかなか勝てなかった徳島という土地柄で、12年前の乾晴美さん以来の革新系の勝利である。
38歳の中谷智司さんは2年前に公認を得て以来、こつこつと地域の声をよく聞いて歩いた。昨年、連夜の忘年会シーズンには、吉野川市内の宴会場で何度も一緒になり、「毎日3,4会場を掛け持ちでお腹の調子が悪くて。」と、苦労しているようだった。イケ面ですらすらとした語り口、営業マンだったからか人間臭さを感じ難く、「選挙で損をするかも」と心配していたけれど、誠実で明るく前向きな人柄に触れるにつれ「こんな人が国会に行ってくれたらいいな」という思いが日増しに強くなっていった。きっとみんなも同じだったと思う。
吉野川市では県議選の反省から組織をしっかり立て、フレッセなどの支持も加わり、中谷さんの得票率は県内8市でトップ!といううれしい結果になった。
日本の政治が2大政党制にむけて大きく舵を切ったといえるのかもしれないが、すべてはこれからの民主党の頑張りにかかっている。2大政党制がベストとは思わないが、1党独裁政治よりもベターなことは確かである。中谷さんには6年間、元気に走り続けてほしい。(マラソン選手でもあることだし。)
「みどり」の仲間、川田龍平さん、希望の当選!!
環境と平和を本格的にやる「みどりの党」を日本にも作ろうと3年前挑んだ参院選では、90万票を獲得したにもかかわらず当選者を出すことができずに無力感でいっぱいになった。その後「みどりのテーブル」ができて、今年の参院選に再び挑戦するべく活動してきた。
昨年の高松市での政策研究会で、みどりの候補者探しに奔走する龍平さんに会った。結局、全国区での候補者擁立は(6千万円の供託金のハードルもあって)断念、定数4から定数5となった東京選挙区で龍平さんが無所属で出馬、私たちの国政への夢をつなぐことになったのだ。
薬害エイズ被害者として19歳で実名を公表し、裁判の原告となった龍平さんの運命と生き方を思うと胸がいっぱいになる。厚労省を人間の鎖で取り囲み、裁判では劇的な和解を勝ち取った経験から、「動けば変わる!生きるって楽しい、と思える日本へ!」をスローガンに頑張った龍平さんと全国から集まった無所属議員たち(四国市民派の渡辺さんや阿部さんも何日も東京に滞在していた)、そしてボランティアのみなさん。1万4千箇所もの公営ポスターを、千人を越えるボランティアが大きな政党と同じように1日で貼りきった。
事務所は毎日12〜15人の少数体制(通常の国政選挙は40〜50人だとか)、それでも9万5千通の選挙はがきをこなし、12万枚の法廷ビラをまききり、事務所の電話35台は常にボランティアで埋まっていたそうだ。私は東京の知人すべてに心をこめてメッセージつきのはがきを書き、小額ではあるがカンパをして祈るのみの日々だった。
マスコミの事前調査では、終盤まで自民党公認の丸川珠代さんと熾烈な5位争いだと聞き、いてもたってもいられない。徳島選挙区の応援もあるし、東京に行きたい気持ちを抑える日が過ぎていった。この日、当選確実が午後9時半過ぎに報じられたとき、ちょうど徳島市内に向かう車中に友人からのメールが入った。半信半疑、わくわくどきどき、NHKでも当確が出て、万歳!みんなの思いが伝わった!!世の中捨てたものではないのだ!!!(涙、涙・・・)
東京選挙区での政党の推薦もない純・無所属候補の当選は、1965年の市川房江さん以来42年ぶりだという。エイズの発祥を抑える薬を4種類も服用しながらの夏の17日間にも及ぶ選挙戦を闘った龍平さんとボランティアのみなさん、そして683,629人の投票してくださった方々に「ありがとう」の気持ちでいっぱいだ。2大政党でくみ上げられない小さな声も、きっと国政に生かしてくれることを確信している。
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