11月17日〜19日
人権対策特別委員会視察(千葉、東京)
常任委員会は、県内視察が年3回(県央、県政、県南)、
県外視察が年1回行われる。
そして特別委員会は、県外視察のみ年1回行われる。
今回私の担当する人権対策特別委員会は、堂本知事の提案した男女共同参画基本条例を継続審議の後に廃案にした千葉県議会(何でそんなところ視察先にするのか?)文部科学省の男女共同参画学習課、そして男女共同参画推進の中核を担う内閣府男女共同参画局、そしてハンセン病の国立療養所多摩全生園へと2泊3日の日程でおこなわれた。
お役所の視察
お役所の視察に関してだが、わざわざ出かけてお役人の話を聞くのは、何とも旅費の無駄ではないかと結果的には思った。
想像通り(と言うか当然)、お役人は自分の意見を言わないし、男女混合名簿についても文科省としての方針はなく、地方に丸投げ、当たり障りのないような答弁で、混合名簿に関しては徳島県の職員の方がまだ骨がありそうだった。
次の委員会できっと誰かが「国は混合名簿の採用を現場に任すと言っていたぞ。それなのになぜ県は「推進」するのか?けしからん。」と言うに違いない。
説明されたことは全て資料を読めばわかることでそれ以上でもそれ以下でもなかった。
文科省で通された部屋は過去の委員会視察では珍しく安普請のプレハブで、担当の職員たちは平均年齢20代という感じ。多くは一流大卒のエリートとなのだろう。
彼らが自分を押し殺して官僚の組織に組み込まれ、歯車の一つとなって大人しい答弁をしている場面にいて、青年海外協力隊OBや市民運動で生き生きと過ごしている仲間に囲まれていると、「本当の幸せとは?」としみじみ思いを馳せずにいられなかった。
徳島でも何度言っても「生物学的性差」と「社会的・文化的性差」をわかってくれないN議員がいつもの調子で話し始めた。
彼がいると旅行の雰囲気がとても明るくなり、それはそれで彼のいい個性である。(しかし「住民投票をやり直せば可動堰推進派が勝つだろう」発言や「家の中に女の字があって、安心の安」という男女の役割意識は、どんなに言っても考えが変わることはないようである。)
文科省の「名簿担当」だという若いおニイちゃんに「名簿担当で混合名簿は現場に任せるのだったらあんたは一体何をしているの?」と質問し、エリートたちはタジタジだった。
お役所視察でも有意義だったと感じるときがある。
それは、職員の情熱ややる気が肌で伝わってくる場合だ。
千葉県議会の担当の女性はとてもいきいきと施策を語っていて、
堂本知事以下の職員のやる気が感じられた。
この辺長野県職員にも共通していた。
DV対策は加害者対策が大事
千葉県の施策では、DV対策は被害者の救済だけでなく、加害者の救済も大事、として、先進地のアメリカマサチューセッツ州に職員を派遣して研修、被害者対策が緒に就いたばかりの徳島県としては差をつけられているようだ。
精神科の医者であるK議員は、DVの加害者対策に関してなかなか良い発言をしていたので、ちょっと見直した。でも、混合名簿について彼は「男女の区別をちゃんと教えなければならない小学校の低学年において、混合名簿は問題」というスタンス。
私は「区別」をちゃんと教えることと「社会的役割固定観念とその弊害もちゃんと教えること」は、同時に進めるべきだし、それは可能だと思っている。
ハンセン病苦難の歴史(多摩全生園)
ハンセン病についての私の基礎知識は、松本清張原作の映画、「砂の器」のみ。「緒方拳」扮する田舎の人の良い駐在さんが何者かに殺されるところから物語が始まる。加藤剛扮する主人公の有名ピアニストの父が実はハンセン病で、彼は唯一自分の過去を知る駐在さんを殺害してしまうというわけだ。
過去に二人で四国遍路の旅に出たことを悲しい協奏曲に表現する。
人目を忍ばなければ暮らしていけないハンセン病患者の悔しさと社会の差別意識を見る人に十分すぎるほど訴える大作だ。
この日、私たちに話をしてくれるのは、お役所の管理職の方ではなく、
入所者の一人Tさんだった。Tさんは70才を超えておられる。
10代後半で発病して、50年以上を香川県のハンセン病施設、青松園で過ごされ、多摩に移られたらしい。
今でこそ、ハンセン病はとても感染力が弱く、隔離しなくても問題ないし、乳幼児の濃厚接触でも染つりにくいことがある程度認知されているが、当時は、いっしょにいるだけで感染するかのような社会的扱いで、
家族親戚とも会えず、全国13箇所にある療養所に集められ、社会との接点を閉ざされ人間扱いされなかった。
Tさんは何と徳島の人で、今はもうふるさとに帰ることも出来て、家族や兄弟は集まってくれるけれど、ご近所の方や兄弟の家族には会わされることはないと話した。
50年以上の屈辱の歴史を話せば話すほど、苦しみから解放されていくようで、とぎれることなく話は続いた。
その後、35haもある敷地に、病院、住宅、付属看護学校などの設備が整った園内をバスで移動する予定だったのだが、紅葉がとてもきれいだったので、「歩きましょうよ」という私の提案を受け入れていただき、
Tさんと共に歩いた。
苑内は、本当にきれいで、学校帰りの子どもたちや買い物帰りのお母さんたちが自転車で通り過ぎる。
地域の方たちの散歩コースにもなっているようだ。
こんなに大きいさくらの木を見るのは初めて、とみんなが言うように、
苑内約3万本の木々が秋のさわやかな風に木の葉をざわめかせている。
聞けば、昨日、宮崎駿さんが訪れ、この森に感動して、「人権の森」として残していこうという「人権の森構想」に賛同し、1000万円の寄付をしていったとか・・・。
あの宮崎駿の感性を揺さぶったにふさわしいすてきな森を散歩できて幸せだった。
バスでの別れの際、Tさんはふるさとからやってきた私たちと別れるのが少し辛そうだった。
私は何だかTさんに触れたくなって、そっと手を握らせてもらった。
温かい手だった。本当に辛い人生を歩いてこられた尊い手のぬくもりだと思った。
「私は郡部の出身」とおっしゃっていたので、「どこですか?」と訊きたかったのだが、何となく訊きにくく、訊きそびれた。
別れたあとに、私の選挙区の方だということがわかった。
訊いていたら、もっと喜んでいただけただろうな・・・。
翌日、タイミング良く、と言うか悪く、と言うか、熊本の旅館で元ハンセン病患者の宿泊が断られた、という事件が朝刊に出た。
まだまだ差別が根深く残る社会なのである。
私にはこうして伝えることくらいしかできないけれど、
できることをやっていくしかない。
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