12月12 日
日本一のDV対策を〜人権対策特別委員会〜
DV防止基本計画づくりの背景
2001年に初めて制定された「配偶者からの暴力の防止および被害者の保護に関する法律」(以下DV基本法)が、2004年に一部改正された。主な改正点のひとつは「暴力」を、「身体的」だけでなく「身体的暴力に準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動」まで拡大した点。口をきかない、無視することや「誰のおかげで食ってると思っているんだ!」「甲斐性なし!」などと言うことも「DV」だ。この21年間の我が身を振り返ってみると、夫から身体的・精神的暴力を受けたことは皆無だけれど、私の方は怒って口をきかなかったことが2,3度あったと思う。大いに反省・・・。
2番目に、一方が(女性が圧倒的に多い)暴力を受けたときの保護命令制度が、配偶者だけでなく「元配偶者」にも拡大され、同居している未成年の子どもへの接近禁止命令も可能になった。2週間だった退去命令の期間が2ヶ月に延長され、退去命令の再度申し立ても可能になった。
他に被害者への対応や自立支援について国や地方公共団体の責務を明記することで、グンと進歩した改正だ。そして「都道府県による基本計画の策定」が明記され、徳島県も計画づくりに着手した。
徳島県男女共同参画会議はステキなメンバー
計画をつくるのは大田知事時代に指名され、飯泉知事時代に引き継がれた徳島県男女共同参画会議。メンバーの現会長中山まき子さん(同志社女子大教授)、阿部頼孝さん(徳島文理大教授)、そして有名な大沢真理さん(東京大学教授:専門は経済学)の講義をそれぞれ数回受けた。すばらしい論理の組み立てはもちろんのこと、加えていずれも人間の温かみに満ちた方々で、大ファンになってしまった。他に県内公募の委員として地道にカウンセリング活動を続けられている方もおられる。
11月に県に計画案が提出され今議会に報告があったが来年度に最終整備される予定だ。被害者対策では全国3番目になるであろう「ステップハウス」の設置など、かなり良いものになっている。さすがだと思った。
(ステップハウス:DVの被害者が一時保護された後ある程度長く滞在できる施設)
日本一の計画にしてほしい
それでも専門家の意見を聞いてみると「鳥取県の計画に比べると予防の観点が弱い」のだそうだ。
インターネットで早速調べた。DV被害者を一時的に保護し、自立のための支援を行っても加害者自身が暴力から脱却することが出来なければ、再びDVが行われる危険性や新たな被害者を作り出してしまう可能性がある。法律では「加害者更正のための指導の方法を調査研究する」との規定のみで、徳島県の計画案でも、加害者更正については「国や民間団体の調査研究について情報収集、提供」にとどまっている。
7日の常任委員会でもこの点に触れたが、担当課長は「加害者更正については十分な更正プログラムの効果なども研究途上でその手法も確立されていないので難しい」との答弁。そうかもしれないが、この計画は5年間の計画だし、今時の5年間の医療や研究の進歩は期待できる。現に、鳥取県では「調査、情報招集」に加えて、「大学、民間との協働で、加害者更正プログラムの研究を行う」となっているのだ。
思春期の恋人間で起こる暴力や虐待行為が増えていること、深刻なDVは飲酒時に行われることが多く、断酒により減少するとの調査結果もあるそうで、アルコール依存症対策もDV予防の観点から重要になってくる。鳥取県では、「更正の意志を持つ加害者等の相談体制を検討する、飲酒・アルコール依存症対策の充実を図る、地域の中で思春期の若者が悩みや不安などについて、同世代の仲間や専門の相談員に気軽に相談できる場所づくりの検討」と1歩も2歩も踏み込んでいる。
どうせつくるなら日本一の計画にするべきだ。7日の総務委員会に続いて、特別委員会でも粘ってみよう、と再び質問した。
すると今度は、「できるだけ要望に添うようにしたい。」と答弁したのだ。嬉しかった!
マズローの心理学では衣食住など基本的生理的欲求が満たされると、人間の次の欲求は社会的欲求つまり「人の役に立ちたい」ということになるのだそうだ。
議員という職などは特にその目的のためにある。良い答弁がもらえないとがっかりするし、「人の立場になって考えることができる、感情移入ができる、素直である」など、学校の通信簿に書かれた私の長所は、議員vs理事者間ではとってもまずい欠点になる。
行政の立場に立ってその場の答弁につい納得してしまい「もっとああ言うべきだった、こう言うべきだった」と後悔するのだ。1年生議員としてまだまだ発展途上だけれど、やっぱり成果を上げたいといつも思っている。
一般家庭の4割がDVの経験があるという。家庭内暴力は小さいことのようだけれど、世界平和の基本だと思う。DVをなくせるということは、人を思いやる人たちで世の中が溢れることだ。DV基本計画がより良いものになれば被害は確実に減るのだから、これ以上のやり甲斐はない。
暴力とは何か?〜直接的暴力と構造的暴力〜
直接的暴力とは「身体・精神・物体に対する物理的抑制や侵害」で、DVはもちろん、戦争やテロ、対テロ戦争がこれにあたる。ノルウェーの平和学者ヨハン・カルトゥング氏はこれに加えて「構造的暴力」の存在を示した。「貧困、経済対策による失業、衛生状態の不備、政治的抑圧、植民地支配、少数民族への弾圧と差別、文化的疎外など社会の構造そのものが作り出す人々への肉体的・精神的共済や侵害」がそれにあたるという。そして、単に戦争がない状態を「消極的平和」と名付け、構造的暴力のない状態を「積極的平和」とした。
この10年で日本の貧困率(平均所得の2分の一以下の所得の人の割合)は2倍になり、格差が開き続け「構造的平和」から遠ざかりつつあるということか。さらに首相の靖国参拝の影響で悪化しつつある対アジア関係を思うと「消極的平和」さえも危うい気がしてくる。
日本国憲法前文では「専従と隷属、圧迫と偏狭、恐怖と欠乏」を克服して公正な世界秩序を築くという構造的暴力の克服を上げ、さらに9条で直接的暴力を永久に放棄している。ヨハン・ガルトゥングさんが構造的平和の概念をいったのが1968年というから、やっぱり日本の憲法って世界一進んでいた、すごいな、と改めて思う。
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